令和6年4月1日2日東京代々木第二体育館でバスケットボールチーム 金沢武士団と品川のチームが対戦 会場前広場で能登マルシェ(市場)開催 被災地で今も1500食炊き出しを行う輪島セントラルキッチンのメンバーが店舗を開店 豊かな能登の食を通じ人々に支援を呼びかけた。
外見上は小さく見えるが最大3000席が用意されている。この建物は確か第一体育館と共に丹下健三氏の設計だ。私が高校3年生の時 東京オリンピックが開催されたときの会場だ。59年たっても超モダンだ。能登復興イベントにふさわしい、胸躍り夢が湧く会場だ。
いよいよ本日が本番第一日目 設営について 立地大いに問題 ➀傾斜有り②水道・排水・電源なし 国際的な施設はデザイン重視? 果たしてうまく行くのか心配が一瞬よぎったが!それでも被災地よりまし、何とか頑張った。
排水 見えないがよく見ると石畳真ん中の列の下が側溝ありそう。それに従い奥に流し台・水道ポンプ・カマドを設置 左側のテントは門前七面鳥ラーメン屋台 右はサバカレーの屋台 後でわかったがここにあの美人女優 常盤貴子が居たとは!
手前が豚焼き屋台 奥が七面鳥のつくね団子串 すべてうまいはおせじではない。被災地 輪島から本物の味が集まる。
能登の物産展示 手前は能登各店の和菓子が並び 奥はおいしい能登米 旗には「がんばらんか能登」と表記 地震で大変な中 能登は頑張っている。
業務用900Wの組み立て式流し台 保健所では多分これだけの規模の催しでは必ずこの流し台を設置するよう指導がありそう。調理はしなくても洗い物ができる。ただここにもテントなど屋根が欲しかった。
流し台の真裏に水道ポンプが設置されていてポンプには100ℓの水が溜められる。最初水はキッチンカーから頂いたが足りない分は奥の第二体育館の地下からせっせと運んで貰った。水はやはりライフライン第一の重要性
まかないくん85型 水量85ℓを沸かしてラーメンを湯煎する。お父さんは輪島市の居酒屋のおやじ65歳位 奥の娘さんは商売熱心 ラーメン2000円は高いように思えるが、熱意と笑顔でお客を呼び込む 初日の反省で2日朝には皆さん全員の店の看板を自ら描いて渡す。 大したもの
新型コロナ 感染症対策として作った手洗い器 足元のポンプを踏んで上部ペットボトルへ 落差で50人の手洗いが可能 能登半島地震 正院小学校ではこれ一台で600人の手洗い洗面などを行った。そうそうピッカーズ受賞の山本理顕先生から3月19日正院小学校で褒めて頂いた。
ビニール袋はこの袋。低体温症にはこれと山岳ドクターの大城先生から教わっていたので津波対策と、多くの袋を持参した。熱交換器の蛇口から袋にそそぐ。警察の方にはこのように箱に入れて渡した。助かって本当に良かった。
二日目に焼きおにぎりが付いた。バランスが良く 七面鳥のスープ掛けもおいしい。おいしいついでに「いらっしゃいませ おいしいですよ」と呼びかけたらたちまちお客様の列ができた。
これがまたまた美味しい 以前能登へ営業に回ったとき 能登牛を扱う門前町のお客さんにボイラーを買ってもらった。その方の笑顔を思い出した。能登にはおいしい産物がたくさんある。
輪島で最初頂いたカレー その時鯖缶のかたまりであった。食べ応えがあった。今季はカレーのなかに入れ込んでいる。鯖缶がディスカウントショップより大量に届いてカレーに使ったら好評であって輪島名物となる。そういえば富山ブラックラーメンは空襲で焼けた町から生まれた。
食券を玄関券売り場からここへ移したら、利便性が高まってよく売れる。つまりみんなの店に一斉にお客様が来るようになった。仕組みを変えると、こうも売り上げ倍増?。ここにはワインバーもあり酒類の販売 東京の女性なかなかのもの「二本空けちゃった」と元気いっぱい。
能登カキフライ 輪島ふぐの油淋鶏 ここは残念ながら食することができなかった。能登塩は弊社でも塩釜を売ったこともあり、揚げ浜塩田には見学に行った。50年前に一軒の塩田だったが今は大分軒数が増えた。
Ⅱと書いたが同じ品 皆さんがせっせと働く陰で衛生面をカバー テントが広がって、保健衛生の観点より設置を求められて他社の流し台が来た。しかし給水・排水ができないので撤収された。我ながら防災に特化した商品作り 役立って良かった。
試合が終わっても多くの人々が歓談する。私の町に女性が見なくなったら、この東京にいたのかと改め思う。 今回大いに勉強になった。能登復興 輪島に池端隼人在り ひとりのキーパーソンでも世の中を変えることができる。私は改めて輪島の町のパワーを感じた。能登頑張れ!。