熊本地震の記録 その⑩

⑰写真は85型だが初期のもの バーナーは現在のものだ。点火はスイッチ一つ7秒で点火する。火力はハイ・ローの2段切り替え、それ以下はスイッチによる間欠運転だ。ご飯は最大30㎏の米を炊く、ご飯になると72㎏程に、おにぎりは約600個一人2個で300食だ。実災害にはできるだけ調理量の大きいものを。小さくては多くの手間がかかる。災害時はいつも灯油バーナーを持って行く。プロパンではボンベの供給が困難だから。   ⑱写真は長崎「勝」の炊き出しだ。 提供した料理は長崎チャンポン・皿うどん他カレーなどがあって、最初釜の能力から計算して希望の半分であったが是非被災者に十分食べさせて上げたいとの強い熱意により、85型を2~3回転使用した。  ホースは熱湯を入れている。左側の青い服装はB&Bの島田洋七さん「勝」の友人としてお忍びで頑張る。「佐賀がばいばーちゃん」の話を織り交ぜんながら被災者を励ます。

熊本地震の記録 その⑨

⑮酷なようだが、こんな時にこそ被災者自身が炊き出しを行うべきだと考えている。 防災の観点では長期避難所生活をすると生活不活発病などは体を動かさないことで起きるという。人間本来は体を動かし人々と協調して生活するようにできている。支援は必要だが人ではある意味避難所にはたくさんある。物資や食材があれば被災者自らが調理する。写真は掘った芋の皮むきだ。当然話し合いが生まれ心も安らぐ。  ⑯1200食,夕食だけでも大変な労力だ。 家庭では4人家族に一人の調理人、では1200食では?実際20名ほどで行う。釜に火を入れ沸かす間に急ぎ下調理を行う豚汁なら豚肉・大根・人参・こんにゃく・ゴボウ・里芋などを切り刻みだし・味噌最後にネギを添える。85型が3台になって300ℓの調理 150㎏は食材だ。時間にキッチリ間に合わせる。たとえ少なくとも全員に行き渡るように配食をする。配食時間は70分~150分に及ぶ。

熊本地震の記録 その⑧

⑬流し台には混合水栓が2個付いているが それでも足らないときは水道ポンプについている水栓から直接使う。 水道ポンプは組み立て式になっている収納時は下部の水槽をひっくり返してポンプにかぶせる。収納姿で高岡から運搬してきたが当たり前のことだが運搬時の丈夫さも実証された。毎分45ℓの吐水 押上揚程27ⅿ 省エネステンレスインバーター。後ろの青いのがバルーン型1t水槽。 ⑭同じく水道ポンプ 当社は被災地から学んで商品を作る。防災用品は最低限必要なものを最初作る。ライフスポットを形成するときの必需品。手洗い・野菜洗い・調理作業に大量の水を使う。1200食調理 手汲みでは間に合わない。ポンプは節水でもある。使用時は排水の事も忘れずに。入口が必要な時は出口も必要。

熊本地震の記録 その⑦

⑪自衛隊さんの給水車から水を頂くときは上部のマンホールに水道ポンプの吸管を挿入して。 手前は200ℓタンクその後ポンプ後ろに1tバルーン型水槽。最初,飲料専用を拡大解釈で炊き出し用として頂いたがその時の使用水量は700ℓ/日。その後シャワーを使い始めると1.5tの水を使用するために我々独自に水を確保。幸い500ⅿ離れたところに水道センターがあって私の1.5tトラックに借りたステンレスタンクで運んだ。   ⑫炊き出し器「まかないくん85型」に給水をしているところ。 ホースを流し台水栓につけて入れる。湯も入れることができ急ぎ沸かすときに便利。これは友人キャンベル田之下君の阪神大震災経験。カマドは10年ほど前に作ったものバーナーは初期のオレンジ色(今はクリーム色)長期にわたって使用できることを実証する。満水120ℓ調理量100ℓ、釜の淵の高さがテーブルの高さより高いのはゴミが入らず衛生的かも。

熊本地震の記録 その⑥

⑩改善点も見つかる。 シャワールームは奥にあって手前は脱衣用テントで既製品を使用。これは使用が決まった日に被災者の若者・学生らと一緒に作った。設置場所が傾斜地で排水角桝を考慮し設置した。只問題だったのは、換気扇が付いていないので霧が掛かったようで前が見づらいとのこと災害時使用は商品の改良につながる。

熊本地震の記録 その⑤

⑧これは灯油給湯ボイラー  水道ポンプから青のホースで受水しヘッダーを介してシャワールーム・流し台へと2線湯と水を給水する。炊き出し器へ湯を入れれば早く湧き上がる。災害時こんな便利な文明の利器?と思われるが不便を楽しむキャンプと違う。必要性・安全確保・収納性を考えてヤマヤはどんどん開発してきた。   ⑨シャワールーム  設置して2~3日してようやく声が掛かった。5~6人が見にきて、これだこれだと言う。よく聞くと自衛隊のお風呂に入れない体の不自由な人や介助が必要な人向けに使用される。私の知るところでは15人/日の使用があった。車椅子で来た入浴者が介助ボランティアによって体を洗ってもらう。床上に椅子を置き体を洗う。本来、お年寄りの失禁対策を目的に作ったが新たな使い方が見つかった。

熊本地震の記録 その④

⑦私が作った看板、4月18日東調理場開設とある。 16日本震 高岡出発 17日夕刻到着レイアウト・設置完了し使用は18日の夕食炊き出し。先の掘った芋を足して豚汁を全員に配食した。炊き出しの挨拶は私が行う事としていたが、奈良の坊さん東山が大きな声で行った。「すっごくうまいでー」 誰が元気付けるか大事なことは迫力 坊さんは発災すぐに来て避難所の安全厄除けを祈った。    

熊本地震の記録 その③

⑤最初の炊き出し前の写真。  私は写真に写っているYMCA阿蘇の彼から多くのことを学んだ。特筆は衛生管理だ。彼は調理士である。包丁・まな板・カマド・テーブル・流し台などすべてをアルコール消毒する。ステンレス蓋なぞはこんなに美しくなるものかと大いに感心した。整理・整頓・清掃・清潔いつも聞きなれているが実行となるとむつかしいが多くの命をつなぐ役割から、ないがしろにできない。  ⑥機材の位置を示すが判りづらいところは持参の営業マンに聞いてほしい。左側から自衛隊の給水車に隣接しているので、そこに水道ポンプ 傍にバルーン型水槽1t ホースを延長して石油給湯ボイラーがある。ボイラーからは水と湯のペアホースが出てシャワールーム(右後方)と流し台(手前右)炊き出し器は、まかないくん85型灯油バーナー付きが2台1台につき最大100ℓ調理量 200㏄と少量配布なら500食まで対応。

熊本地震の記録 その②

③今回の写真は実災害のために写真は必要最小限度にとどめた。写真はボランティアが芋掘りをしているところ。 満載のトラックにさらに途中大分中津のスーパーで豚汁用食材を購入するも被災地熊本県益城町総合体育館に入って被災者1200名。とうてい足りないことが判ってトイレ掃除を終えた被災者と話すと自分の畑に食材があると聞いて学生4名を伴って町中の畑に行く。 ④芋の子 人参 玉ねぎ 葉物これだけの量が新たに加わった。学生が掘った芋を川で洗って被災者が刻んだ。今回学んだこと被災地には食材が畑に行けば有るということ。そういえば東日本大震災時、大槌町の被災地では救いを待つだけでなく自ら物資調達隊を出したということ。何もなければ知恵と行動だ。

熊本地震の記録 その①

熊本地震の記録   下記のものは私、山本が行ったものの記録です。災害は個々には違いがあって一様では有りません。現状合わせえて対処するようにしています。今回はレスキューストックヤードさんに行き先を訪ね、先行している災害ボランティアさんからの情報も聞きながら行動しました。 当初、私一人が行き、その後多くの方々の力によって炊き出ししました。 少しでも皆様方の防災に対しての参考になればと願っています。また皆様方のご意見もお聞きしたいと思います。なほ使用の機材は一部を除き現在も避難所で使用しています。 平成28年8月5日 ヤマヤ物産有限会社 社長 山本修一  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ①前震:平成28年2016年4月14日   午後9時26分M6.5最大震度7    本震:16日午前1時25分最大震度7   最初行くのをためらったのが本音 遠方地、体調不良などにより でも15日には積み込みにかかる。服装から見られるように当地では少々寒い状況  災害時の支援品やデモ商品などはあらかじカゴ車にまとめたり 調理器などは常日頃整備してある。  写真は寒さを考慮して足元暖房装置これで体育館一杯温められる。  ②弊社1.5tトラックいつもの、まかないくん避難所設備システム:奥に足元暖房装置2セット・まかないくん85型2台灯油バーナー付き・ライフラインが使えない状況を想定して水道ポンプ・石油給湯ボイラー・シャワールーム・流し台・発電機・調理機材・発泡食器・米100㎏・梅干し1樽を積み込む。 ルートは大阪南港よりフェリーに乗るために出発は16日昼とした。高岡市当社→大阪南港→フェリー→別府→熊本被災地

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